はじめに:「当たり前」への違和感から始まった物語
僕の暮らしのパートナーである50羽の鶏たち。その中には、僕が卵から孵したヒヨコたちがたくさんいます。
「なぜ、お店でヒヨコを買わないの?」と聞かれることもあります。
その理由は、僕が自給自足の暮らしを始めるきっかけにもなった、ある一つの「違和感」でした。
ヒヨコを買ってきて、育てて、卵を産まなくなったら処分する。
経済的な効率を考えれば、それは「当たり前」なのかもしれません。
でも、僕にはそのサイクルがどうしても不自然なものに感じられたのです。
そんなことを考えていた時、ある縁がありました。
養鶏場を辞めるという方から、雌30羽と雄2羽を譲り受けることになったのです。雄鶏がいる。
つまり、自分の手で命のサイクルを回していくための環境が、目の前に現れました。
お金をかけずに、もっと自然な命のサイクルをこの手で作りたい。
生命を身近に感じ、そこから学びたい。その思いが、僕を「自家孵化」への挑戦へと駆り立てました。
理想と現実:母鳥は卵を抱かなかった
本当の理想は、母鳥が卵を温めてヒヨコを孵し、育てる「自然孵化」でした。
それが一番自然な形だと思っていたからです。しかし、我が家の鶏たちはなかなか卵を抱こうとはしませんでした。
そこで、やむを得ず「孵卵器(ふらんき)」という機械を使って、人工的に卵を温めることにしました。
鶏たちが産んでくれた卵のうち、汚れのない綺麗なものをすべて孵卵器へ。
僕の挑戦は、少しだけ理想とは違う形でスタートしました。

21日間の緊張:孵卵器との日々
鶏の卵が孵化するまで、約21日間。
その間、孵卵器の温度と湿度の管理からは一日たりとも気が抜けません。
たった一日でも、設定した適切な範囲から外れるだけで、孵化率は劇的に下がってしまうからです。
「今日は大丈夫か?」毎日、機械の数値を覗き込む日々。
そろそろ孵化かな、という時期になると、中の様子が気になって仕方がありません。
孵卵器についているライトの光量では足りず、自分のヘッドライトを卵に当てて、中の成長を確かめていました。

命が生まれた瞬間、世界が変わった
そして、初めて卵の殻に内側から小さなヒビが入り、やがてヒヨコが姿を現した瞬間。それは、僕の世界の見方を変えるほどの体験でした。

「今まで自分が当たり前に食べていた、あの卵から、ヒヨコが……」
頭では分かっていたはずなのに、その光景を目の当たりにして、腹の底からこみ上げてくる感情がありました。僕は、僕たちは、こうして「命」を頂いていたんだな、と。

育雛の、見えなかった壁
しかし、感動に浸っている暇はありません。
生まれた後のヒヨコを育てる「育雛(いくすう)」は、さらに繊細な管理が求められるからです。
特にヒヨコの時期は、温度管理が本当に大変でした。
生まれたばかりのヒヨコたちは、小さなケースの中で身を寄せ合って過ごします。

そして、少し大きくなった中雛(ちゅうすう)は、後から生まれた小さなヒヨコを突いてしまうことがある。
これは、実際に飼ってみて、孵化させてみないと分からないことでした。
結果、もともと一つだった鶏舎を急遽仕切り、「親鳥エリア」「中雛エリア」「ヒヨコエリア」と3つに分けてやりくりすることに。
計画通りにはいかないことばかりです。

裏庭に放し飼いにされたヒヨコたちが、草陰から顔を出す姿を見るたび、この小さな命を自分で育んでいる喜びを感じます。

たくさんの失敗の先に
正直に言うと、失敗はめちゃくちゃしました。
適切な管理ができず、たくさんのヒヨコが死んでしまいました。
中雛になってからも、命を落とすことがありました。
その度に、何が原因だったのかを探し、環境を改良する。その繰り返しの毎日でした。
自家孵化は、ただ「ヒヨコが生まれて可愛い」というだけのものではありません。
それは、命の繊細さと重さに真正面から向き合う、覚悟のいる挑戦なのだと痛感しています。
それでも僕は、この自然なサイクルに挑戦し続けたい。
たくさんの失敗の先にこそ、本当の「自給自足」があると信じているからです。


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