こんにちは! kecchiblogへようこそ。
僕が自給自足の暮らしを志した時、その中心にはいつも「畑」のイメージがありました。
自分の手で、土に触れ、食べるものを育てる。
それは、この暮らしの根幹をなす、大きな、そして素朴な夢でした。
今回は、僕が北海道のこの土地で踏み出した、記念すべき「最初の一歩」。
知識も、高価な機械も、コネもない。ただ「やってみたい」という情熱だけを胸に、たった一人で畑を作り、初めての収穫を迎えるまでの物語です。
僕が「耕さない農業」を選んだ理由
農業といえば、トラクターで畑を耕し、化学肥料を撒き、虫がつかないように、他の草が生えないように農薬を散布し、そして最後は機械で一気に作物を収穫する。
それが、何も知らなかった頃の僕のイメージでした。
効率的で、近代的で、でもどこか、生き物としての実感が伴わない世界。
しかし、会社員時代に知った「自然農法」は、その常識を根底から覆すものでした。
耕さない。肥料も農薬も使わない。草を敵とせず、味方につける。
刈った草を土の上に敷き詰める「草マルチ」。
それがゆっくりと分解されて土の滋養となり、虫たちが集い、その営みすらも豊かな土壌の一部となる。
自然界のサイクルを邪魔するのではなく、その力を借りる。
何より、トラクターのような高価な機械がなくても、草刈機と鍬さえあれば始められる。
借金をせずに、自分の身の丈でスタートできる。
僕が目指す自給自足の姿は、まさにこれでした。

土との対話:草刈機と鍬だけで
決意は固まりました。
まずは、僕の背丈ほどもある草を、草刈機で薙ぎ払っていく。
現れた黒い土の匂いを深く吸い込むと、不思議と力が湧いてきました。
剣先スコップで溝を掘り、その土を盛り上げて畝の形を作る。鍬で固まった土を砕き、優しくほぐしていく。
それは単なる肉体労働ではなく、まるで初めてこの土地と対話するような、神聖な時間でした。
そして最後に、最初に刈り取った大量の草を、生まれたばかりの畝の上に、ふかふかの布団のように敷き詰める。
これで、僕の最初の畑は完成です。

大変なのは、最初のこの畝作りだけ。
一度作ってしまえば、あとは毎年耕す必要なく、この畝を何年もそのまま使い続けていくことができます。
それもまた、僕が自然農法に惹かれた大きな理由の一つです。
種を蒔き、毎日様子を眺めていると、やがて草のマルチの間から、小さな、しかし力強い緑の双葉が顔を出しました。

そして、収穫の時。
自分の手で土の中から掘り出した野菜たちは、形は不格好かもしれないけれど、生命力に満ち溢れ、まるで宝石のように輝いて見えました。
収穫の奇跡、そして畑は「我が家のスーパー」になった
そして、収穫の時。
自分の手で土の中から掘り出した野菜たちは、形は不格好かもしれないけれど、生命力に満ち溢れ、まるで宝石のように輝いて見えました。




自分で育てた野菜は、すべてが格別に美味しかった。特にニンジンには驚きました。
スーパーで買うニンジンのような特有の臭みが全くなく、それでいて、大地の香りが鼻に抜け、噛むほどに優しい甘みが口の中に広がる。
あまりの美味しさに、思わず笑ってしまいました。「本物のニンジンの味って、これだったのか」と。
この日を境に、僕の暮らしは変わりました。
「今日のご飯は何にしようかな」そう思ったら、まず畑に行く。
畑は、我が家の「無料のスーパーマーケット」になったのです。
スーパーまで遠いこの土地で、自分の手で育てた安全な野菜がいつでも手に入る。
これほどの豊かさがあるでしょうか。

この最初の小さな成功が、「大丈夫、この土地でやっていける」という、僕の大きな自信になりました。
自給自足という壮大な夢が、確かな現実として根を下ろした、忘れられない最初の記憶です。


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